
息子が20歳を迎えたステップマザーとして -次男編-
先日2025年9月14日、次男が20歳になりました。
長男の時も書きましたが、
10歳だろうが15歳だろうが20歳だろうが、おそらく30歳だろうが、
息子への誕生日を祝う気持ちも愛しさも変わらないのは大前提の上、
ステップマザーの私としては、
長男に続いて次男が20歳を迎えたことは、息子たちにとってはもちろん、
私の人生にとっても大きな節目であり、気持ちの一区切りを感じています。
無事に育ってくれた感謝と喜びと、少しの寂しさを記録として。
(ステップマザーとしての状況や心境は2021年ステップマザー10年目の節目に、長男の20歳の心境は2022年に、記録として残しています。)
とうとう迎えた20歳
長男に続き、次男がとうとう20歳に。
大人と子どもの境目なんて、いつまでが子どもでいつからが大人かなんて、
よくわからないけれど、今時の成人は18歳からかもしれないけれど、
私の中では、20歳を目指して息子たちを育ててきた、いや、
一緒に育ってきたので、やっぱり20歳という節目が感慨深いのです。
20歳を迎えた次男にお祝いの何をしてやれたというわけでもないのですが、
20歳になったその姿をフィルムカメラで撮るということと、
私の気持ちを綴った手紙を押し付けがましく贈るということをしても、
嫌な顔ひとつせず、ありがとうと言葉で伝えてくれる、
想像を超えるほどに見事にしっかりとした、心根の優しい人間に育ってくれた次男。
彼の誕生日当日に、贈る手紙を喫茶店で書いていたら、
どうにもこうにも涙が止まらなくなってしまって、
喫茶店で1人で号泣する訳のわからないおばちゃんになっていたのは、
本人には言えないここだけの秘密。
息子たちを生かしていくことに必死だった時代
長男が9歳、次男が5歳の時、一緒の生活がスタートして、
子育ての経験ゼロで人生経験もまだまだ浅くて精神的にも若すぎた私は、
その当時の次男と向き合うことに必死だった。
やんちゃで私の想像なんて容易く超える行動を取る、
目の前の可愛い坊主頭を、とにかく生き延びさせることに必死だった。
ちゃんとごはん食べさせて、ちゃんと遊ばせて、ちゃんと学ばせて、
他の子たちと比べて不足のないように、
他の母親と同じことがしてあげられるように必死だった。
27歳の当時の私はただただ必死だったけれど、
でも、必死って苦しいだけじゃなくて、
毎日必ず、次男が可愛くて面白くて愛しいなあって思う瞬間が必ずあって、
それを今でも鮮明に覚えてる。綺麗事じゃなく、本当に。
産みの母と離れたばかりの息子たちと向き合う距離感に悩んでいた時に、
5歳の次男が、初めて自分から抱っこをせがんで両手を伸ばしてくれたことがあって、
私はそれが嬉しくて嬉しくて、
どうしようもなく嬉しかった気持ちも鮮明に思い出せる。
そんな喜びが日常にいくつもあって、息子たちから、
子どもと一緒に生きることの喜びと楽しさを教えてもらった。
謝っても謝りきることができない後悔
子どもって、自分で産んでいようが産んでいまいが、親とは違う1人の人間で、
相手が何をどう考えているかなんてわかり得ないのだけど、
そんな中でも、次男と私は大きくタイプが違う人間で、
脳の思考回路も大きく違うなと感じていて、
そんな彼が考えていることや起こす行動の理解ができなくて、
小学生の次男に強く当たってしまった時期があった。
いくら私自身のメンタルが幼かったからといっても、許されるものではないと後悔が残っている。
次男に対して叫び散らかした私の顔を、
この人何を叫んでいるんだろうとポカンと見つめる息子の顔が脳にこびりついてる。
当時、ちゃんと謝れなくてごめんなさい、と手紙で謝ったけれど、
謝っても謝りきれない人生の後悔として、私の中に残り続けている。
世界が広がり人生が豊かに
次男を通して、私の世界はたくさん広がった。
彼がいてくれなかったら出会うことがなかったであろう、
それぞれの場所で出会った彼の友達やママ友も、
次男が選んで進んだ道も、私の人生だけではあり得なかった世界を
彼が見せてくれて、経験させてくれた。
何より、それぞれの友達とそれぞれの世界で、
自分の軸を持ちながら輝く次男を応援できる喜びを経験させてもらえて、
私の人生は、彼のおかげで豊かになった。
お母さんをさせてもらったこれまでの約15年、たくさんの幸せをありがとう。
あなたの母役をできたこと、本当に幸せでした。
もうしてあげられることはほとんどないくらいに成長した姿を見る度に、
心から嬉しい気持ちと共に、ほんの少しの寂しさも。
どこまで伝わるかな、この気持ち。伝わらなくていいんだろうな。
長男に続いて次男の20歳でもやりたかったこと
そして、次男の母子手帳も、無事に産みの母に返すことができた。
15年間預からせてもらった大切な母子手帳、
次男がお腹にいる時、生まれた時、幼かった時のたしかに注がれた愛が詰まっている大切な記録を、
あるべき場所へ戻せたことに、何よりほっとしている。
小さい時の次男は、目を離すと危なっかしい子だったけれど、
でも、幼い時からちゃんと自分で生きる力を持っている子だった。
産みの母がそんな次男を元気に産んでくれたからこそ、
私は息子に出会えたし、これまでの15年も彼女がいてくれたからこそ、
次男を育ててくることができたのは間違いない事実。
次男が高校生活3年間、日々真剣に打ち込んだ吹奏楽部の卒業公演で、
最後の幕が降りた時に、号泣する私に号泣しながら感謝を伝えてくれた
産みの母と強くハグをしながら次男の成長を喜び合ったこと、
ありきたりな言葉だけれど、一生の思い出。
ちなみに、私の持ち歩いている手帳には、
次男が高校卒業時にくれた夫と私宛の手紙が挟んである。
決して綺麗とは言えない字で綴られた内容は、
思春期男子が言葉にしづらいであろう内容をきちんと綴ってくれていて、
これまたありきたりな言葉だけれど、一生の宝物。
次男が育つ日々の中で、
一生と言い切れるたくさんのかけがえのない経験をさせてもらえたこと、
次男へ、ただただ感謝。
そしてこの記録を、長男の時と同じ言葉で締めくくりたい。
とにもかくにも、一年先、一ヶ月先、一週間先でさえ、
何が起こるか予測がつかないこんな世の中で、
息子が20年間無事に元気に生きてこられたことに、乾杯を。
そして、息子の成長をここまで支えてくれた多くの方達に、
母として心からの感謝を。