ステップマザーとしての人生。

※以下、2021年3月に個人noteに掲載した記事の転載になります。


ごめんね息子たち

ステップマザーとして歩み始めて、今日で10年が経った。

1年経ったから、3年経ったから、5年経ったからなんだという話で、10年経ったから何がどうなるわけではなく、子どもたちも変わらず日々伸びゆくだけで、勝手に節目だと思っているのは、世界でただ一人私だけ。

出会った時に、9歳だった長男は19歳になり、5歳だった次男は15歳になった。
二人とも、産みの母と過ごした時間より、私と過ごした年月の方が長くなった。
時間の量が大切なわけじゃないけれど、積み重ねてきた時間が物語る何かは必ずある。時の流れが解決することも、時の流れが生み出すものも、確実にある。

息子たちと暮らし始めた26歳の私はとても未熟で(今もまだ成熟してるとは言えないけれど)、当時の私なりに一瞬一瞬真剣に息子たちと向き合ってきた、なんて言い訳にしかならないほど未熟で、多分息子たちの心が満たされることはなかっただろうし、力不足の私と向き合う辛さがあっただろう。
こればかりは謝っても謝りきれない。ごめんなさい、息子たち。

どうやったらこの子たちの母親になれるのだろうと、今なら不可能と理解できる問いに頭を悩ませ、一般的な仕事のように産みの母から育ての母への引き継ぎがあるわけでもなく(夫は子育てノータッチ状態だった)、相談相手が誰一人いない状況で、子育てなんて右も左もわからない中、踏ん張っていた当時の自分をハグしてやりたい。
大丈夫、そんなに頑張らなくても、10年経ったら息子たちはこんなに立派に大きくなるよ、と。

「母親」じゃなくて「家族」になればいい

母親になろうとしなくても家族になれるという心境に行き着いたのはいつだっただろうか。
もちろん私が息子たちにとっての社会的立場での「母」であることは、幼い頃から息子たち自身も私自身も理解はしている。

話すとよく驚かれるけれど、これまで10年間、息子たちは産みの母と毎月数回会っていて、私も彼女と連絡を取り合っていて、諸々の関係性はとて良好で温厚で、初めの頃こそ、我が子を手放せた彼女の感情に理解は追いつかなかったが、そうなってしまった彼女の心の動きは受容することができ、人間関係にストレスを感じたことはない。

息子たちにとってちゃんと「母親」がいるのに、ぽっと出てきた私が「母親」になる必要はないじゃないかと、「母親」じゃなくても息子たちを育てていく「家族」になれればいいだけで、「母親」というポジションに固執する必要はない。
そう思えた時に心がラクになったことは覚えている。

理解はできないからこそ寄り添うべき

第三者から言わせると、一番の理解者であるべき夫は、当事者の私から言わせると、理解者から一番遠い場所にいるのだと思う。
これは、うちの夫だからというよりも、ステップファミリー全てにおいて言えることだと思っている。

冷たい表現かもしれないが、わかりやすく簡潔に言うと、子どもを引き取った側の気持ちを、引き取ってもらった側が心底理解することは、できないと思う。
(「引き取った」とか「引き取ってもらった」とかという表現はものすごく好きじゃないけれど、わかりやすいように今はあえて使います)
語弊を覚悟で言うならば、引き取った側が引き取ってもらった側に、自分の気持ちの理解を求めることは望まないほうがいい。
世のステップファザーやステップマザーたちに、パートナーに理解してもらえず苦しめと言いたいわけではない。

引き取ってもらった側は、理解できないからこそ、寄り添う必要がある。
気持ちがわかってもらえない引き取った側のパートナーを、決して一人にしてはいけない(物理的にではなく精神的に)。

責任感、使命感、強迫観念、さらに見栄

相談相手がいない時期が長く続いた要因は、理解や共感を示してくれるであろう同じ立場の人が周りにいなかった(今もいない。日本でもだいぶ家族の形が多様になってきたけれどね)という事実があるのは1つ。

けれどそれよりも、自分で選んだ道だから、自分で決めたことだから、と変な責任感と使命感がこびりついていた私は、息子たちのことで弱音や愚痴を吐いたり悩みを相談したりしたら、「ほらね、だから選ばなきゃよかったでしょう、その選択肢を」と誰に言われるわけでもないのにそう思われるであろう強迫観念に囚われて続けていたのだと思う。

と同時に、私は自分で選んだこの道が間違ってなかった!自分は幸せな選択肢を選び取った!と見栄を張りたかったし、自分に言い聞かせたかったのだと思う。

10年かけて、変な責任感と使命感は、自分の人生は自分のものという誰しも持つ当たり前の概念に移り変わったし、勝手な脅迫観念は、目の前で繰り広げられる素晴らしき子どもたちの成長劇によって薄れ去った。

ちなみに、誰に対するわけでもないが、見栄はまだ張りたい。
そして、自分は幸せだという自覚と現状に対する感謝を自身に言い聞かせ続けたい。

継母としての実母としての感情の差

今だから言えるけれど、正直、自分のお腹から娘たちが生まれたとき、不安がなかったわけではない。
息子たちと娘たち。私の中に、違いが生まれてしまったら。感情の差が生まれてしまったら。
そんな不安を抱いたのは、私だけではないと察する。夫も同じく、夫の家族も私の家族も同じくだと思う。

結果、娘たちが生まれてすぐも、10年経った今も、差があるのかどうかよくわからない。笑。
よくわからないってなんだよと自分でも思うけど、よくわからないっていうのがぴったりな気持ち。

愛しい気持ちや大切な気持ちは、息子たちへも娘たちへも変わらない。
けれど、全てが全て、全部が全部一緒とも言い切れない。
じゃあ、何が違うのかって自分に問いてみたけど、よくわからない。
わかることは、その差を明らかにする必要はないんじゃないか、ってこと。
不安に思っていた気持ちは、蓋を開けたら不安にはなり得なかった、という事実だけでいいじゃない、ってこと。

それでもあえて、私の中での息子たちと娘たちに対する感情を例えるならば、
断崖絶壁の崖で、息子と娘が同時に、崖先に両手をかけて落ちかけているとすると(そんなこと想像もしたくないけれど)、私はまっすぐに真っ先に、娘に手を伸ばす。迷わず娘だけを全力で助ける。けれど、夫には息子を助けさせる。娘と私には構わずに、全力で息子を助けろと叫ぶ。息子を助けている間に、娘と私が力尽きて落ちそうになったとしても、息子の手を離すなと言う。
その結果、私は娘と落ちても、悔いはない。夫が息子を助けたなら、それでいい。それがいい。

10年経って

もう10年、まだ10年。
相反している気持ちだけれど、どちらも当てはまる。
息子たちへの愛情は、時と共に変わりながら時が過ぎても変わらない。

この10年間、私の涙が止まらない日があったのは確かなのに、息子たちが泣き暮れた日は記憶にない。
私がこの子たちを支えなきゃと踏ん張ってきた日々は、実は息子たちが私を支えていてくれた日々だったと、10年経ったからこそ気がつくことができた。
綺麗事に聞こえるかもしれないが本当に、息子たちが私に与えてくれたものの大きさを改めて感じる。

息子たちにとっては、大人の事情に巻き込まれた決してめでたくはない10年前の今日は、私の人生にとっては、かけがえのない日々が動き出したスタートの日となったことは間違いない。

これからまた10年後、20年後、30年後、息子たちも私も、どの場所でどんな形で生活しているのかわからないけれど、私は息子たちと“家族”であり続けたいと願うし、息子たちがどのような自分たちの家族をつくるのかが、この先の私の楽しみ。
そんなこんなで、一人想いを馳せる、10年記念日。


2021/3/26

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