息子が20歳を迎えたステップマザーとして

※以下、2022年3月に個人noteに掲載した記事の転載になります。


本日2022年3月15日、長男が20歳になりました。

10歳だろうが15歳だろうが20歳だろうが、おそらく30歳だろうが、
息子への誕生日を祝う気持ちも愛しさも変わらないのですが、

ステップマザーの私としては、
息子が20歳になったという事実に、勝手ながら大きな節目を感じています。

その節目の気持ちを記録として。

鮮明な思い出

11年前の9歳の息子には、実父母の別れる決断に拒否権はなかったかもしれない。

従うしかなかった大人の決めたことに、まだ9歳だった息子が様々な感情を抱えていたであろうことは想像に容易いけれど、それらを噛み締めながらも、一度も嫌と言わずに(私の前では)、私と一緒に生活を始めてくれたこと、その事実がとても嬉しかった気持ちを、今でもちゃんと思い出せる。

息子と暮らし始めて、初めて名前を呼んでくれたこととか、「ごはんおいしい」って言ってくれたこととか、まだまだ幼い可愛かった顔も声も、今でもはっきりと思い出せる。

壮大なプロジェクト

語弊を覚悟で書くならば、
“人を創っていく”子育ては、史上最高にクリエイティブな仕事だと思っている。

子ども1人に対して、一つの壮大なプロジェクトを進行しているという感覚。その一つの果てしないプロジェクトに終わりはないのだけれど、終わりがないからこそ、区切りをつけて成し遂げたとする日を作るならば、20歳の誕生日。

こちらもまた語弊を覚悟で書くならば、
子どもは、育てたい人や育てられる人が、育てたらいいと思っている。

投げやりのように聞こえるかもしれないけれど、決して投げやりではない経験上からの考え。
自分が産んだから自分で育てきらなきゃいけないと思い込むのは、閉塞感を生み出すだけ。

男だから女だから関係なく、産むのも育てるのも、それぞれの個体差や人生の流れというものに影響され、それぞれができるタイミングとできないタイミングがある。

人生の中のさまざまな要因が絡み合って、
産むことができるタイミングとできないタイミングがあるように、
育てることができるタイミングとできないタイミングがある。
育てることができないならできる人がそのプロジェクトを請け負ったらいい。

極論、単純に、それだけのこと。
私は、ただそれだけのことを、してきただけのこと。

育て合っている関係

そんな無機質なプロダクトやサービスを作るようにはいかないよ、ってご意見はごもっとも。
育てる方も育てられる方も人間なので、ないがしろにはできない感情や予想だにしない心の動きがある。

でもこれまた単純な話で、“愛”があればいい。それだけのことな気がする。

大雑把すぎるかもしれないけれど、
無償の愛で承認欲求が満たされてさえいれば、人間を育てるという壮大なプロジェクトは、さまざまな問題を抱えながらも進行し続けることができるのだ、と思う。

間違いないように伝えておくと、“無償の愛で承認欲求が満たされている”という状況は、育てられる方だけの話ではなく、育てる方にも然り。

血が繋がっていようがいまいが、子どもから受ける無償の愛(愛情表現だけの話ではなく、ささやかな成長の瞬間や日常の中での屈託のない笑顔など)は、見事に親の承認欲求を満たしてくれるもの。

そして、このプロジェクトは進行すればするほど、どっちが育てられていてどっちが育てているのか、わからなくなるもの。

“人を創っていく”とは、むしろそうあるべきで、
「育てている、育てられている」関係ではなく、
「育て合っている」関係というのが適切な表現だと思う。

息子が20歳になったらやりたかったこと

息子が20歳を迎えたら、ずっと私がやりたいと思っていたことが二つ。

一つは、お酒を飲みながら、酔っ払う息子から漏れる本音に耳を傾けたい。
ここまで言いたくても言えなかったこと、押し込めてきた気持ちが絶対にあると思うけれど、決して口数の多くない息子から無理に引き出すことはしないようにしてきた。

お互い、大人になったってことで、お酒の力を借りながら、ゆっくりのんびり何年もかけて、息子の本音を聞けたら嬉しいなと思っている。

もう一つは、息子の産みの母へ、11年預かっていた母子手帳を返すこと。
息子と暮らし始めた当初、母子手帳は産みのお母さんが持っていてこちらに預かる気はなかったのだけれど、やっぱり子どもと日常を送る中で母子手帳の記録が必要なことが多くて、渡してもらった。

その母子手帳には、私の知らない生まれた当初から幼児期までの息子の記録が手書きで書き連ねてあって、産みのお母さんの温かさと愛がものすごく伝わってくる。

初めて見たとき、ああ、息子は愛に包まれて生まれてきてここまで育って、私と出会ってくれたんだなあと思えて嬉しかった。

そんな世界に一つの大切な愛の記録は、しっかりと、あるべき場所へ戻したい。

まだまだ続く

もちろん、節目を迎えただけで、我が家の長男プロジェクトはまだ終わりじゃない。

そして、青春真っ只中の16歳次男プロジェクトも、現在絶賛進行中。
こちらはこちらで長男との違いも明確で、激しくぶつかり合った過去も含め、とても面白い育て合い中のプロジェクト。
次男が20歳を迎えたときには、今とは同じ感情もまた違う感情も生まれるんだろうな、と想像ができる。

とにもかくにも、一年先、一ヶ月先、一週間先でさえ、何が起こるか予測がつかないこんな世の中で、息子が20年間無事に元気に生きてこられたことに、乾杯を。

そして、息子の成長をここまで支えてくれた多くの方達に、
母として心からの感謝を。

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